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◆ Missing You ☆ マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス ☆ [マイケルへの想い]

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  2015年1月、元祖BLACKディーヴァ・ダイアナ・ロス(当時70歳)が19年ぶりに来日ソロ公演(日本武道館にて1月6日、7日)を行った際にUpした記事。好評頂きました。特に女性の方に。

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 ダイアナ・ロス、今の世代にとっては昔の名前っぽいけど、今で置き換えるならビヨンセのような存在なのかな。いや当時はそれ以上のスターでしょう。
 ソロとしては6曲のNo1ヒット曲をもち、所属したスプーリムス時代には12曲のNo1ヒットを生む。あわせると18曲で、ビートルズの20曲についで歴代2位(マライア・キャリー、エルヴィス・プレスリーも同じく)です。ただダイアナはノミネートはされるもののグラミーとは縁がない。
 
 黒人女性として、まだ人種差別も根強く残る時代から、歌手だけではなく女優としてもエンターテイメントの最前線で道を切り開き活躍してきた。
 ソロとしての全盛期は70年代だと思うけど、60年代はスプリームスの一員として頂点を極めた。80年代、90年代も良質のアルバムを発表し続けた。
 今回、古巣のモータウンからRCAへ移籍後のソロ作が貴重なExtended版を収録して再発もされました。その中には、マイケル・ジャクソンが制作したTrackもあり、貴重なものも収録されています。(後半紹介)
 
 そう、マイケルとダイアナ。

 マイケルは遺言にて、子供たちの後見人を母・キャサリンに託しましたが、キャサリンの死後は、ダイアナにそれを託しています。身内でもないダイアナに自身の希望である子を託すのですから、いかにマイケルがダイアナを信頼しているかがわかります。
 (今回のダイアナの公演でも、彼女は、マイケルへの想いを口にするはず。←直接はなかった)
 自身のヒット曲、亡きマーヴィン・ゲイに捧げたMissing You (ライオネル・リッチー作)をマイケルと日本のファンのために歌ってくれるのではないでしょうか。(←そんなしんみりした感じで偲ぶのではなく、映画『ウィズ』でマイケルと共演したUpテンポの明るい曲「Ease On Down The Road」をセレクトした。ダイアナらしい) 
 
 マイケルより15歳年上のダイアナですが、マイケルは自伝『Moon Walk』の中で「僕は今でも彼女のことを愛しています。本当に彼女に夢中なのです。彼女は僕の母であり、恋人であり、そして姉であり、そうしたすべてが一緒になった驚くべき人だったのです」という事まで言っています。
 これって男性にとっては理想の女性だと思うのですが。こんなすべてが一緒になった女性なんてそういるものではありません。
 
 マイケルの訃報に際し、ダイアナは「想像することもできずにいます。涙が止まりません。あまりにも突然でひどくショックを受けています」とコメントを発している。
 マイケルの葬儀にダイアナは参列せずダイアナのコメントをスモーキー・ロビンソンが代弁しました。
 「気持ちの整理がつきません。私はそこに行かれませんが私の心はそこにあるという事をご理解ください。私は静かに気持ちを落ち着かせて過ごすことを選びました。それが私には最善の選択だと思えたからです。マイケルは私の個人的な恋人で、私の世界の大切な一部で、言葉で言い表せないほどの存在でした」と。
 参列しないことを選んだダイアナに逆にとても深いものを感じます。もしかしたら彼女は取り乱し平静を保つ自信がなかったのかもしれません。
 
 今回マイケルが絡んだ作品を含めダイアナとの関係を振り返ってみたいと思います。まず、あらためてダイアナ・ロスのヒット曲を振り返ります。
 ダイアナ・ロス、最初は、ソロではなく3人組のボーカルグループ“スプリームス”(最近、シュープリームスって言わないみたい)の一員として61年にモータウンよりデビュー。
 ダイアナが脱退する69年までにビルボードで12曲のNo1ヒットを生み出します。多分スプリームスと知らなくとも耳にした曲は多いと思う。

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 これは驚異的な実績です。英国のビートルズに対抗していた唯一の米国アーティストがこの黒人女性グループのスプリームスだったというのもすごい。そして彼女らのヒットによりベリー・ゴーディー率いるモータウン帝国の礎が築かれた感じ。そしてそのモータウンからデビューするのがマイケル・ジャクソン達のジャクソン・ファイブなわけです。
 嫉妬と欲望が渦巻いたグループでもあり、その辺はビヨンセがダイアナを演じた『ドリーム・ガールズ』でも描かれている。

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 ダイアナが脱退したあとも、グループは存続しますがヒット曲には恵まれず、メンバー交代も続き自然消滅したような感じです。
 ダイアナは、スプリームスを心から愛し、自分を犠牲にして全てを捧げてきたと言います。信じられないような成功を収めるスプリームスですが、ダイアナと他の2人のメンバーとの軋轢は相当なものがあったようです。スプリームスのヒットはダイアナによるものが大きいでしょうが、ダイアナ一人の成功のように周囲が捉え、他の2人はお飾りのように扱われた事が大きな要因だったようです。ダイアナはスプリームスでの活動を続けたくとも修復不可能なレベルまでにいっていたようです。
 そしてそこにビリー・ホリデーの伝記映画を制作するという話がダイアナの元に舞いこみ、これをきっかけに26歳のダイアナは、スプリームスから離れる決意をします。
 ダイアナはアーティストとしてもすばらしいですが、この『ビリーホリデイ物語』の演技はすばらしく、オスカーの主演女優賞にノミネートされるという栄誉を得ます。当時、黒人の女性がアカデミー賞にノミネートされるって相当すごいことだと思います。
 ソロとなったダイアナは6曲のNo1ヒットをうみます。

 Aint No Mountain High Enough(1970)
 Touch Me In The Morning(1973)
 Do You Know Where You're Going To(マホガニーのテーマ) (1975)
 Love Hangover (1976)
 Upside Down (1980)
 Endless Love with ライオネル・リッチー(1981)

 個人的には、CHICのナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズがProduceした『DIANA』が好き。 

ダイアナ

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 「Upside Down」と「I'm Coming Out」はダイアナの新たな魅力を開拓した。

 さてダイアナのdiscographyの概略はこの位にして、マイケルとの関わりに焦点をしぼりたいと思います。69年にデビューするジャクソン・ファイブですが、ジャクソンファイブのデビューアルバムの原題は、『Diana Ross Presents The Jackson 5』です。
 そしてジャクソンファイブの全米全国ネット放送でのデビューがダイアナ・ロスが司会進行する番組でした。それはスプリームスからの独立記念番組でもありました。その中でダイアナが、高らかにマイケル達希望の5人組の黒人グループの紹介をします。当時のダイアナは24歳。マイケルは10歳です(デビュー時は8歳としていた)。

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 マイケルは、その後もモータウン25周年記念番組で「ビリージーン」の衝撃パフォーマンスを見せますが、このジャクソンファイブのデビュー曲「I Want You Back(帰ってほしいの)のパフォーマンスは当時相当な衝撃(ファーストインパクト)を与えたように思います。
 ジャクソンファイブのデビューの時期と同じくして、モータウンもデトロイトからハリウッドのあるセレブの都市・ロサンゼルスに本社を移転させていました。
 そんな中、ジャクソンファミリーの新居が落ち着くまで、ジャクソン兄弟が居候したのがビバリーヒルズのベリー・ゴーディーの豪邸と同じ通りにあったダイアナの居宅(→これも豪邸)だったのです。上の兄3人がベリーの所で、マーロンとマイケルがダイアナの所だったようです。(そしてダイアナもベリーの所に通っていたという)
 ダイアナ自身、アーティストでありますが、この業界について知ることをとても重要視していた。人任せでなく、ビジネス面にも注意を払わなければいけないという事を。彼女がトップアーティストとなったのは、才能はもちろんだけど、成功するために自分が何をすべきかをしっかりと見極め、実践していったところを感じる。
 その事も含め、マイケルのとてつもない才能を見抜いていたダイアナは、歌だけではなく、幅広い視点を持ちいろいろなものを吸収していく大切さを10歳のマイケルに説いた。
 そしてマイケルもその重要性を10歳にして理解した。マイケルが母キャサリンの死後の事を想定して、ダイアナを次の後見人に指名したのも、信頼できる人であることはもちろんだけど、子供たちがマイケルと同じようにショウビズ世界に進んだとき、この業界ついて知り尽くしているダイアナほど頼りになる存在はいないとも思っていたのかもしれない。
 当時のマイケルたちは、いわゆる田舎から出てきた業界の礼儀も作法もしらない少年たち。一方のダイアナロスは、当時の間違いなくNo1のスーパースター。マイケルたちもこんなスターと一緒に暮らすなんてと相当驚いたようですが、マイケルもマーロンもこの時の生活は今でもとてもすばらしいものとして記憶に残っていたようです。
 10歳のやんちゃ盛りのマイケルとマーロン。ダイアナに勧められて絵画等もしたみたいで、子供のすること、最後は喧嘩や遊びになって相当豪華であろうダイアナの家の絨毯を絵の具で汚したらしいですが、ダイアナは、「あなた達、この絨毯いくらすると思ってるの!」等ときっと怒ることなく優しく接したのだろうと想像する。
 マイケルとダイアナが公式に共演したのは、78年に公開されたブロードウェイミュージカルのヒット作『ウィズ』(The WIZ)でした。

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 この作品は、『オズの魔法使い』の黒人バージョンのようなもので、モータウンのベリー・ゴーディーの主導で動いたビックプロジェクトでした。
 ベリーがダイアナのためにこの作品の版権を買い、ダイアナのための作品を作ろうとした。当時としては最高額の2,400万ドル(当時のレートで48億くらいか。そして当時の48億ですから相当な金額っぽい)をかける。
 このビックプロジェクトの音楽面での指揮をとったのがクインシー・ジョーンズでした。ミュージシャンが300人、コーラスが150人、オーケストラが9つという規模で、クインシーほどの人もこれほどのビックプロジェクトは初めてだったと述べています。
 もともと児童文学で、少女を主役にした作品を、当時34歳のダイアナが、24歳の教師役という設定変更で作りあげたことで歪が生まれ、興業的には大失敗映画となったようで、この時の負債は、モータウンにも重くのしかかったように思います。
 ダイアナ的には、守られていた世界から突然見知らぬ異世界に迷い込み、苦難を仲間たちと乗り越えて自分自身を見つめ直し自分を取り戻すドロシーと当時の自分の境遇がシンクロした。
 映画の中でドロシーが困難を乗り越えていくように、ダイアナもこの映画を通して、離婚の傷を癒し、ベリー・ゴーディーへの依存(ダイアナとゴーディーは愛人の一言ではくくれない特別な関係だった)をやめ、自分自身を見つめ直し新たな世界へと旅立つきっかけを作ったようです。
 マイケル・ジャクソンがかかし役で検討されていると聞いたとき、ダイアナはとても興奮したといいます。DANCEも要求されるかかし役に歌って踊れるマイケルほど適任の人はいないと。
 マイケルが演じたかかしは、マイケルのようにピュアなキャラだった。吊るされた状態で身動きがとれずカラス達にバカにされるけど、この場所から解放されて自由に動き「いろいろな事を知りたい」という純粋な欲求を持っていた。脳みそがなくバカにされるカカシだけど知識への欲求は並外れていた。

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 マイケルもこのかかし役に自分を重ねた感じがする。バカにされながらも必死に勉強し知識を得自分を成長させようと努力する。マイケルは心からこの役を演じれることを喜んだといいます。そして、カラスを追い払い吊るされていたかかしを助けて解放するのがダイアナ演じるドロシーです。
 今あらためてこのシーンを見ると胸を打たれます。この純真なカカシはマイケルそのもののように感じます。
 マイケルの演技は素晴らしい。十字架の貼り付けのような状態のカカシ役のマイケル。カラスたちは、非難中傷するメディアと重なる。そしてダイアナがマイケルを救い出す。
 解放されたカカシは、まだしっかりと歩くことができずヨロヨロし、倒れこむ。それを何度も抱き起こすダイアナ。あらためてこのシーンを見ると涙がこぼれた。
 たちあがったカカシは、ドロシーが探す道を見つけ、そこを二人が華麗なステップとダーンで歩みだす。
 ここでマイケルとダイアナは「Ease on Down the Road」という曲をDUOします。純粋にマイケルとダイアナがDUOしている曲はこの曲だけだと思います。
 そして、この役にマイケルを選んだのも他ならぬベリー・ゴーディーだったようです。モータウンから喧嘩別れのような形で移籍していったジャクソンファミリー一員のマイケル。しかしベリーもダイアナと同様、マイケルが適任だと思ったに違いない。
 作品は素晴らしい。一流の製作陣が集い、予算もかけた。クオリティーは相当なものだと思いますが、ダイアナに重点を置きすぎ失敗した感がある。
 興業的には制作費の半分も回収できない大赤字作品だった模様。
 しかし、この作品により、ダイアナの内なる開放と、マイケルの作品に対する真摯な姿勢に感心したクインシーが、マイケルのソロ作のプロデューサーを買って出るというきっかけを作りことになります。
 マイケルは、そのクインシーと制作した『オフ・ザ・ウォール』が大ヒット。そして『スリラー』で頂点を極める事となる。
 80年代に入ると、ダイアナとマイケルのポジションは逆転する感じ。年齢によるものもあるから時代は若き者へと移っていくのは仕方ないことではあるけど。
 81年のダイアナのLIVEにステージに上がってくるように言われ終盤マイケルが登場するこの映像。
 
 Diana Ross _ Michael Jackson- UPSIDE DOWN- 1981-FORUM-L.A.
 https://youtu.be/9Qa1pDqNjwQ

 ナイルとバーナードが手がけた「アップサイドダウン」、CHICのグルーブとマイケルのグルーブが融合するのも超エキサイティング!!マイケルはアドリブで踊り歌いますが、一気にマイケルワールドになります。そして横で踊るダイアナ。なんて素晴らしいパフォーマンスなんだろう。
 今でもこの映像を見るとマイケルが眩しすぎて涙が出る。
 
 80年代に入り、モータウンから離れソロ活動を開始したダイアナにマイケルが力を貸します。マイケルは、ボーカリスト、ダンサーだけではなくソングライター、プロデューサーとしての才能も発揮し始めます。
 82年に「マッスルズ」という曲を提供する(『シルク。エレクトリック』収録。プロデュースもマイケル)

シルク・エレクトリック

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  • 出版社/メーカー: SOLID
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 スローな曲だけど、マイケルに匂いを感じる1曲。シンプルなバックトラックとフィンガークラップがCool。このクラップとマイケルのバックボーカルは、LIVEでの「The Way You Make Me Feel」イントロのTasteそのもの。ダイアナのシルキーVOICEも魅力的。HOT100で10位。今回、これまでレアだったEXTENDED(6:38)も収録されています。これまたCOOLです。
 85年のビックなチャリティープロジェクト「We Are The World」では、マイケルからダイアナがボーカルを引き継ぎそしてデュオ。息が合った二人のボーカルは素晴らしい。

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この時の模様はメイキングビデオでも見れる。


 
 30周年記念盤のボーナス映像では、マイケルのソロパートが満載。使用されなかったけど、スティーヴィー・ワンダーとダイアナのDUOというか天才的なボーカルの掛け合いも見れる。このパート、本編にも入れて欲しかったな~。
 
 そして85年の「Eaten ALive」。アルバム自体は、ビージーズが全面制作。ギブ兄弟のファルセットボーカルの質感とダイアナのボーカルの相性は抜群。一般的にはそんなに売れていないし評価も高くないけど、ダイアナのハイトーンボーカルがすごく魅力的でダイアナ作品としても名盤だと思っているおれ。
 タイトル曲にマイケルも参加します。

イートゥン・アライヴ

イートゥン・アライヴ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SOLID
  • 発売日: 2014/11/12
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 70年代に頂点にたったビージーズと80年代に頂点にたったマイケルとのある意味夢の共演。しかしマイケルが絡むとビージー色は薄れ一気にマイケルワールドが展開される。
 ダイアナの曲ではありますが、マイケル色全開のエッジの効いた曲。この頃のマイケルのボーカルは最高級なので、そこだけでも一聴の価値アリ。
 当時、マイケルの新曲をめちゃくちゃ欲しており、マイケルがめちゃかっこよくバックボーカルで絡んだこの強力シングルは大ヒット間違いなしと思いましたが、HOT100-77位(R&B-10位)のヒットに留まります。マイケルの力をしてもダイアナにNo1シングルをもたらすことはできませんでした。
 今回、12inchレコードに収録されていたバージョンがすべてデジタル化。Editバージョンは、ギターがかなり効いててエッジ感が増す。インストバージョンも、単純なインストではなく、マイケルの息遣いやボーカル部分がフューチャーされてて超かっこいい。これだけでも買いです!
 さらにこのアルバムからのヒットシングルとなったスプリームスの匂いも感じる「Chain Reaction」(英国で1位を獲得)の貴重なRemixも収録されています(これも欲しかったんだ~)。
 
 87年『BAD』に収録されNo1シングルにもなった「Dirty Diana」が話題を呼びます。あえてダイアナ風の女性もビデオに登場させるという。

Dirty Diana

Dirty Diana

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Epic
  • 発売日: 2006/04/03
  • メディア: CD
 
 以前「ダーティー・ダイアナ」の記事をUpした時、単なるネタ的要素が強いと記しましたが、今回あらためていろいろな記事にふれて、ちょっと見解が変わってきました。
 ダイアナは、ロバート・シルバースタインという白人男性と71年に結婚している(同じ黒人男性ではなく白人男性というところに彼女のスタンスを少し感じてしまう)。出会いは、たまたま入った紳士服店。双方惹かれあいその場で電話交換をしたというから驚き。彼は学校の先生だったそうだが、その後業界に転職しダイアナのマネージャーとなる。その彼とは77年に離婚している。
 その間に三人の娘が産まれるが、驚きべきは最初の子ロンダは、シルヴァースタインの娘ではなく、前述のベリー・ゴーディーとの子だった。しかし彼はそれを承知の上でダイアナと結婚したようだ。しかし、ベリーの影は絶えずダイアナにつきまとっていたようで、それが大きく影響し離婚することになる。
 ダイアナが離婚したとき、ダイアナは33歳。その時、マイケルはまだ19歳。まだリアルに結婚を意識する年齢ではないでしょう。ただダイアナは憧れの年上の女性だったと思う。
 ダイアナの最初の結婚の時、マイケルは祝福している。そして「彼女には幸福になって欲しかったですが、少しは傷つき、嫉妬したことは認めなければいけませんね。だって、僕はずっとダイアナのことを愛していたわけですし、これからもずっと愛していくでしょうから」と素直な気持ちを綴っている。
 しかし、マイケルも男性として成熟していく過程で、リアルにダイアナとの結婚を望みだした部分もあったのではないかと感じる。しかし、ダイアナはそれはマイケルにとってプラスではないと思ったのではないだろうか。
 ダイアナが最初に結婚したのは、ある意味ベリー・ゴーディーからの支配から抜け出すためだった要素もあるかもしれない。離婚後、恋多きダイアナではありましたが、再婚は考えていなかったようです。
 しかし、ツアーを終え休息場所として滞在していたバハマで、ノルウェーの船舶王アルネ・ネス(大富豪)と運命的でRomanticな出会いをし恋に落ちたようです。そして86年にダイアナは再婚します。
 マイケルは、ダイアナの再婚はないと思っていたろうし(多分、彼女もマイケルにそう言っていたのでは)、再婚するなら自分だと思っていたのかもしれません。ピュアなマイケルにとって、ダイアナのこの行為は裏切りのように思えたのかもしれません。
 その思いが「ダーティー・ダイアナ」として生み出された部分はあったかもしれません。ただリアルにダイアナを中傷する意図はなかったと思います。でも悔しい思いをぶつけたかったという。ダイアナも大人の女性としてそれを受け止めた印象ももちます。マイケルに再婚はないといっておきながら再婚したことに申し訳なさも感じたかもしれません。
 そして、92年に『Dangerous』からの2ndシングルとして発表された「Remember The Time」の欧州版シングルのクレジットの中に、“Didicated with Love to Diann Ross”(ダイアナロスに捧ぐ、愛を込めて)という記載があります。

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(『FOREVER MICHAEL』Remember The Time マキシシングル図鑑より転載 http://mjj.blog.shinobi.jp/Entry/318/

 『Michael Jackson For The Record』にもダイアナ・ロスに捧げられたセカンドシングルという記載がある。
 その観点でこの曲のリリックを見るとけっこう納得する。

 覚えているかい 僕らが恋に落ちた日のことを
 覚えているかい あの秋の日 僕らは一日中一緒だった
 覚えているかい どんな話をしたか 世が明けるまでずっと電話をしていた
 覚えているかい あの特別な時間を 僕の心の中では 何度も何度も繰り返されている
 あの素敵な思い出は 僕の大切な宝 
 何を言ったかは問題じゃない 2人だけの体験を僕は忘れない
 覚えているかい あの公園 あの海辺
 君と僕とで行ったスペイン
 覚えているかい 
 僕は・・・僕は・・・ 

 この「Remember The Time」について兄・ジャーメインの自叙伝でも触れられていて、ジャーメインも直接マイケルからダイアナへの思いを聞いた感じ。
 「彼らがどれほど親密になったかについては、ほとんど常に、半自叙伝的であった彼の音楽が代弁しています。1992年にリリースされた「Remember The Time」の切ない歌詞を聴いてください。その歌は、マイケルが私に話したように、ダイアナ・ロスを念頭に置き、書かれたものでした。彼にとっては、彼から逃れた1つの大きな愛でした」と。
 (Shanti&AnandaさんのBlogより引用 http://jaxon22.blog135.fc2.com/blog-entry-787.html
  
 この曲のショートフィルムもその視点で見ると妙に納得する。女王役のイマンがダイアナ。まさにモータウンの女王。そしてキングのエディー・マーフィー役が、モータウンの王・ベリー・ゴーディ。そして女王とマイケルは密会し(すでに2人は深い中で再会したともとれる)口づけをかわす。イマンは、ベリーの義理の息子でもある兄・ジャーメインが「恋にふるえて」で共演し、これまた熱いラブシーンを演じた相手。そこもかなり因縁。
 Remember The Timeは間違いなくダイアナへの思いを綴っている。
 
 90年代に入り、さらなる成功を手にしていくと同時にマイケルはどんどん孤独になっていった思いを持ちます。
 マイケルを愛するファミリーや心配する人は多くいても、実際に傍にいれた人はいなかった。ダイアナにしても家族がいる。他のブラザーやファミリーしてもそう。リサ・マリーやデビー・ロウと結婚するもそこに本当の愛はあったのだろうか。
 ただ誕生した子供たちは、マイケルの希望になったのは間違いない。
 95年に出版されたダイアナの自叙伝でダイアナはマイケルのことをこう評している。
 「いつも正当なものの見方をし、優しくて思いやりのある人で、他人の、特に子供たちの力になってあげることで世界に変化をもたらそうとする人間だと」。
 マイケルの芸術性と自身を重ねてもいる。マイケルとダイアナはとても似ている気がする。
 そして「最近は会う時間があまりなくて、彼をもっと知ることができない。成功するということは人と人とを遠ざける。しかし、一緒にいようが離れていようが、彼を大事に思う気持ちには変わりない。一時近しい間柄でいたこと、彼が私を好きでいてくれることはうれしい。彼を愛しく想う気持ちは貴重だし、私たちの友情はこれからも大切なものであり続けるだろう」と結んでいる。
 96年にモナコで行われたワールド・ミュージック・アワードでダイアナがパフォーマンスをした際、最前列に座るマイケルに、No1ヒット、エイント・ノー・マウンテンのイントロに重ねて「私が必要ならいつでも呼んで」と冗談ぽく言い、マイケルも顔を覆って照れていますが、あれはダイアナからマイケルへのメッセージにも思えた。いつでも助けになると。マイケルの事をダイアナも相当気にかけていたと思うのだけど、お互いの置かれている状況が2人の距離を縮めることができなかった気がする。
 そしてマイケルは逝ってしまった。
 マイケルとダイアナは、恋人や夫婦や親子そんな一言ではくくれない強い絆で結ばれていたと思う。肉体関係がどうのこうのなんて下世話な話はどうでもいい。自分の一部と言ったダイアナの言葉が象徴的。
 そしてマイケルは最後までダイアナを愛していたのだと思う。
 マイケルがダイアナを後見人に指名したのは、最後まで貴方を愛しているというメッセージにも思えてきた。
 そのダイアナが来日する。マイケルへの思いを語ってくれるのだろうか。
 ああ、やっぱりMissing 、マイケル。 


☆ダイアナ・ロスの自叙伝も一部参照しました

ダイアナロス自伝[東亜]

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  • 作者: ダイアナ ロス
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  • 発売日: 1998/12/10
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ベスト・オブ・ダイアナ・ロス(来日記念盤)

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  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
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◆ 『Dangerous』 完成までの道のり -前編- ビル・ボットレルの功績 [アルバム考察]

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  MJフリークたちによる、トークショー「MJ熱中夜話」というものが開催されている。そこでMJの90年代の金字塔『DANGEROUS』の制作秘話等が語られるらしい。楽しそうだな~。なんか触発されて、以前書き上げた記事に追加、修正したものをUP!

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 『BAD』は87年7月に発売され、USAでは7枚、UKでは9曲のシングルがきられます。UKでの最後のシングル「リベリアンガールは」89年7月にカットされています。そして世界はまたマイケル・ジャクソンの次のアルバムを待ち望むわけです。
 87年9月から始まった『BAD』ワールドツアー、440万人を動員し大盛況のうちに89年10月に終え、マイケルは次のアルバムに向けての準備も整えていったと思われます。
 この頃、レコード会社主導でマイケルのBESTアルバム『DECADE1979-1989』の発売が進められていた模様。

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 エンジニアのブルース・スウェディンによれば、『BAD』が完成した日の翌日から、マイケルは次作に向けてのデモ・テープを制作していたといいます。
 クインシー・ジョーンズとの歴史的な3部作も生み出し、90年代に突入する節目にマイケルのベスト盤を発表するという意図はよくわかります。この2枚組のベスト盤、新曲数曲をつけて発表するというプランで、No1ソングはすべて収録され、興味深いところではJacksons名義の「Heartbreak Hotel」や「State Of Shock withミック・ジャガー」も収録リストに入っている。
 さらに「Someone In The Dark」、「Come Together」等当時ではレアトラックも収録。
 それに新曲として下記の曲があげられている。

・ Black or White
・ Heal The World
・ Who Is It
・ I'll Be There (adult version)
・ Never Can Say Goodbye(adult version)


 もともとマイケルはベスト盤のようなものを好まない。わくわくドキドキするような新曲をファンに聞いてもらうことを信条としていた。でもレコード会社的には出して欲しい側面(売れるし新たなファン層の獲得にもつながる)がある。最終的に、従前のヒット曲の選定はできたと思われますが、新録曲の収録選定がまとまらずこのベスト盤のプランは流れることになります。(でもこの感じは『History』にもつながる。結局、Disk2が全曲新曲になって発売されたけど)

 『BAD』期以降、湯水のごとく湧き出る曲群をストックしていたと思われます。そして『DECADE』が流れ、実際にニューアルバムとしての本格的なレコーディングに90年6月からとりかかり、1年2ヶ月をかけて『DANGEROUS』を完成させるのです。
 最終的に『デンジャラス』91年11月に発売されます。『BAD』から4年ぶりとなるアルバムですが、ツアーをし、様々なプロジェクトもこなし、合間に曲を作っていったという。マイケル的には、ほんとのんびりする事なく次作に取り組んだいた感じです。
 マイケルはやはりまだ『スリラー』を超える作品を作るという思いを捨てきれていませんでした。アルバムセールスの目標も1億枚。

 これまでもBlack系プロデューサーの所でいろいろとりあげていますが、『BAD』の制作後、88年からさらにテクノロジーは進化します。シンセサイザーや、ドラムプログラミングなど、機器で様々な斬新な音を作ることを可能にしました。そのテクノロジーと、ミュージシャンシップをもった才能が融合し、ジミー・ジャム&テリー・ルイス、LA&BABYFACE、テディ・ライリーなどのような斬新な音を作るR&Bプロデューサーが、R&Bだけでなくシーンを席巻するようになります。(余談ですが、90年代後半、さらに音のサンプリングが容易になり、Remixという手法などでショーン・パフィー・コムズ(P.Diddy)などが登場。ループ感がなじむHip Hop フィールドでさらに進化していった感じです)

 さてそんな背景の中、マイケルは新しいアルバム制作に着手します。クインシー・ジョーンズとはやりつくした感じがあったと思います。それはクインシーとの3部作の流れを見てもわかります。契約上も、クインシーとは3作の制作するというものだった模様。
 この辺から、いろいろなものを聞きいたり見ている私の推測です(2010.3月時の考察だけど)。

 79年の『Off The Wall』はいろいろなジャンルの音楽を知り尽くしているクインシー色が強いアルバム。そして、82年の『スリラー』では、ライターとしてのマイケル・ジャクソンの進化を感じますが、やはり音の主導はクインシーが握っているように思います。
 そして、87年の『BAD』です。この作品は、かなりのマイケルの主張を感じます。クインシー側も、馴染みのロッド・テンパートンなどの曲をもちよったと思うのですが、最終的には11曲中9曲がマイケル作の曲となりました。この時クインシー側が『BAD』のために用意してマイケルが採用しなかったロッド・テンパートンの曲のいくつかが、88年に発表されている、秘蔵っ子サイーダ・ギャレットのデビュー・アルバム『Kiss Of Life』や、89年のクインシーのソロ作『Back On The Block』に収録されたと推測しています。
 ただクインシー主導の路線で『BAD』を制作していたら、クインシ-色の強い『スリラー』の延長線上のアルバムになっていた気がします。『BAD』はマイケルが自分の作品を中心に作り上げた事により、『スリラー』とはちがうカラーになったと思います。
 そして、その流れは『Dangerous』でもさらに強まります。マイケルは、ある意味脱クインシーに挑んだ。クインシーの力を借りずとも自分がアルバム制作をコントロールするという思いを強く持ったと思います。
 マイケルは、『BAD』のように自分の書いた曲をメインにしてアルバムプランをねっていきます。そしてそのサウンドブレインに任命されたのがビル・ボットレル(以前はビル・ボトレル表記だった)でした。エンジニアでクインシーファミリーでもあるブルース・スウェディンの力も借ります。
 ここで思うのが、マイケルの時代を読む嗅覚のすごさです。よく80年代、90年代と10年区切りででサウンドや流行が語られますが、89年辺りから80'Sと言われるサウンドの感触が変わっていきます。その大きな流れの一つがオルタナティブ・ロック(Alternative Rock)です。
 正直な所、好きなジャンルでないので語れません。オルタナティブって。きちんとした定義を知るまでノンジャンルの、マイナー的な無国籍風ロックかと思ってたし。

 オルタナティブとは、「もうひとつの選択、異質な、反主流」という意味合いで、ニルヴァーナがその流れを作った。80年代から活動するレッド・ホット・チリ・ペッパーズのこのオルタナティブの流れにはまり90年代になり大ブレイク。この系統の流れだとR.E.M、Coldplayが浮かぶ。(でもアルバム1枚ももってません)反メジャー的な反骨精神が充満している。
 でボットレルはそのオルタナティブ的な、カントリーやフォーク、ブルース的な感触もまざったロックサウンドを作ることができた。マイケルとのWORKの後、シェリル・クロウを手がけ、94年のグラミーで最優秀レコードも獲得するわけで、時代の流れにのったCreaterだった。(シェリルもマイケルのBADワールドツアーでDUOパートナーとして同行してたし)
 ビル・ボットレルに関しては、『DANGEROUS』でそのクレジットを初めて意識するわけですが、西寺郷太氏の著書でジャクソンズの『Victory』(84)からの関わりと知る。

 ボットレルは、白人だし、その音もぜんぜん黒くない。しかし、オルタナテティブ・ロックという流れにのったプロデューサーだった。その時代の流れを見抜いているマイケルはすごい、とあらためて思う。
 そして、ボットレルと以下の曲を作り上げる。

・ Black Or White  (収録) 『DECADE』収録予定曲
・ Who Is It     (収録)  『DECADE』収録予定曲  
・ Give In To Me   (収録)
・ Dangerous       (後にTeddy RileyがRemixし収録)
・ If You Don’t Love Me(公式リリースなし)
・  Monkey Buisiness (Ultimate 収録)
・ What About Us (Earth Song)  (見送り、David Fosterも加わり『History』に収録)

 「Black Or White」は、前述のベスト盤『DECADE』の目玉曲だったと思う。けっこう早い段階からできていた。これまでアルバムからの先行シングルは、割と地味目な曲を持ってきて2ndが勝負曲みたいな流れがあったけど、混沌とする90年代、80年代アーティストが次々とヒットから離れていく中、マイケルはこの無国籍風、ミクスチュア、ある種オルタナティブRock的(さらにRapも融合)な勝負曲を先行シングルに選び、見事にそれが当たる。
 「Who Is It」も「This Place Hotel」や「ビリージーン」の流れからくるマイケル色の強い曲。(この曲のさらに原型として「Mind Is Magic」という曲も存在します)
 「Give In To Me」もこれまたマイケルの好きなロック曲。ガンズ・アンド・ローゼズ(GN'R)の凄腕 ギターリスト、スラッシュも招き話題性もあります。今回はブルース色も感じる。
 そしてこれまたマイケル色の強い「デンジャラス」。初期バージョンは、Ultimateにも収録されていますがTeddyがからんでいないのでリズム・アレンジメントが全然ちがいます。ビル・ボトレルも絡んだ「Dangerous」が最初の形だったとは驚きだった。案外、こっちの方が好み人も多いかも。
 公には出ていませんが王道のパンクロック「If You Don’t Love Me」。こんな曲をマイケルがするとは意外です。ロックン・ローラーだったというビル・ボットレル主導の曲だと思います。
 Ultimateに収録された「Monkey Business」。マイケルの曲の中でもリリックも凝ってる。
 そして、『Dangerous』に収録されず95年の『History』に収録され、近年、すごく注目されている「Earth Song」もこの時点では「What About Us」という曲でした。「Earth Song」では後半、攻撃的で激しいシャウトでしたが、「What About Us」ではファルセットボーカルになっています。

・  She Got It                (公式リリースなし)
・ Serious Effect with LL COOL J  (公式リリースなし)

 上記2曲もビル・ボットレルとの曲ですが、さらに(公式かは不明ですが)Teddy Rileyのクレジットがあるのが注目であり、謎です。後ほど触れますが、Teddyは最終的に『Dangerous』のメインプロデューーサーになるわけですが、この初期段階の関わりは何なのだろう?と思うわけです。
 公式リリースされていない「She Got It」も斬新なリズムアレンジメントとロックTasteを加えた曲です。「Dangerous」同様、ボットレルが最初に作っていた曲に、Teddyが後から手を加えたのか?Teddy色は薄い。
 Hip Hopを意識したリズムアレンジメントとRappinにLL Cool Jを招いた「Serious Effect」はTeddy Rileyっぽい。

 そして、マイケル自身がプロデュースもした曲。

・ Heal The World (収録ブルース・スウェディン共同Pro/DECADE収録予定曲)
・ Keep The Faith  (収録/ブルース・スウェディン共同Pro)
・ Gone Too Soon   (収録/ブルース・スウェディン共同Pro)
・ For All Time      (見送り/TOTO勢曲)
・ Work That Body  (with ブライアン・ローレン/公式リリースなし)
・  Happy Birthday Lisa(公式リリースなし)

 
 「Heal The World」は、『DECADE』収録曲でしたが、『DANGESROUS』初期プランには入っていなかった。後に、多くの人に愛されたこのメッセージソング、世に出てよかった。
 「Keep The Faith」は前回「マン・イン・ザ・ミラー」を提供したサイーダ・ギャレットのPositiveな曲を今回も採用。サイーダ自身のこの手の曲が得意なのか、自分のアルバムにも同じ系統の曲を収録しています。
 早すぎる死を迎えた少年に捧げた美しいバラード「Gone Too Soon」。
 さらにミネアポリスを意識した「Work That Body」、マイケルがプリンスっぽい曲をするとは意外。最初ジャム&ルイスProduceかと思いましたが、ブライアン・ローレン作。
 美しいバラード「For All Time」。『スリラー』の収録が見送られたTOTO勢の曲。25周年盤『スリラー』に収録。
 「Happy Birtheday Lisa」はリサ・プレスリーに捧げた曲かと思ったら、USAのニヒルアニメ作品「シンプソンズ」に登場するキャラクターへの曲のよう。こういう小曲、マイケル作品の中ではめずらしい。

 出回っているブート盤からも推測するに、当初この構成でマイケルのニューアルバムはスタートとしたと思われます。しかし、マイケルは不満だったのでしょう。この楽曲群では、1億枚をこえるセールスは見込めない。何か決定的なものが足りないと感じたのではないでしょうか。確かに、オルタナティブ的な感触は十分だけど、これまでのマイケル作品にあった圧倒的なキャッチーさもうすい。これまでのマイケルのベースであるR&B的な要素も薄く、激動する90年代シーンの中ではインパクトもうすい。
 マイケルも足りない部分がわかっていたよう。それが、斬新なリズムと強烈なビートだったと思います。そしてそれを生み出す才能として目を付けたのが、R&B/Hip Hopプロデューサーのテディ・ライリーだったのです。
 彼のテクノロジーに対する斬新なサウンドアプローチは、ニュージャックスウィングと呼ばれ、87年以降シーンを席巻していました。当時、22歳の若者だったテディは、憧れのスーパースターのマイケルから声がかかって「びびった」と言ってます。
 ただ当時、テディの勢いはピークから下り坂に入っていた印象。しかし、マイケルはテディーを選びます。2人は意気投合。マイケルも若きエナジー・テディーから多くのものを吸収したはず。そして、テディー・ライリー自身もマイケルによりその才能が再びスパークし、これまでにないサウンドを生み出していく。テディーは、マイケルが用意したVIP待遇の住まいも提供され、これまたなんでも揃っているスタジオにこもりマイケルの要求するレベルの作品を作り上げていきます。テディが加わった事で、『Dangerous』はまったくちがう形に変わっていきます。 (後編へ)


デンジャラス

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  • 発売日: 2018/03/21
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◆ If You Say My Eyes Are Beautiful - ジャーメインとホイットニーの幻のNo1シングル- [ジャーメイン・ジャクソン]

                                                 オリジナル2013.7.23Up

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 『BAD』からの先行(1st)シングル、「I Just Can't Stop Loving You」は、マイケルとのデュオパートナー選びに難航したと言われています。最終的に、サイーダ・ギャレットに落ち着いたわけですが、当初は、バーブラ・ストライサンドを想定していた。しかし断られたと。『BAD』のドキュメンタリー番組の中でホイットニー・ヒューストンの名前もはっきりと上がっていました。しかし、Whitneyサイドは断ります。
 その要因は、ホイットニーの待望の2ndの発売が87年6月に控えており、タイミング的にマイケルの『BAD』と重なるという所があったと思います。ホイットニーとマイケルとのかけあい感じてみたかったです。どんな感じだったのでしょうか。
 このタイミングで、マイケルとのDUOを避けたのはアリスタレコードの社長・クライブ・デイヴィスによる判断かと思いますが、ホイットニー自身もマイケルとのDUOは受けにくかったという思いがあったかもしれません。それは、マイケルの兄、ジャーメイン・ジャクソンの存在があったから。
 ホイットニーは、ジャーメインと4曲DUOしているのです。しかし、1枚もシングル化されていません。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 「If You Say My Eyes Are Beautiful」(邦題「恋するまなざし」)は、86年のジャーメイン・ジャクソンのアリスタ移籍第2弾アルバム『プレシャス・モーメンツ』に収録された、ホイットニー・ヒューストンとの4曲目のデュオソングです。前回、ジャクソン兄弟の三男ジャーメインとホイットニーとの記事をUpしましたが、今回この曲に関してより深く掘り下げてみようと思います。

 今回この記事をUpするにあたって二人の画像を探していたらめちゃいい感じのを見つけました(勝手にUpしてるけど・・・)。めちゃいい男といい女カップル、絵になるわ~。ホイットニーの死後、二人の関係が取り沙汰されましたが、こうしてみると、あらためていい雰囲気の二人。ボビー・ブラウンとの2ショットより全然いい感じ。

 86年、ジャーメインのこのアルバムに収録されたホイットニーとのこの楽曲は、曲自体もよいし、当時のホイットニーの勢いからいってもNo1確実の強力シングルでした。ホイットニーのデビュー時は、ジャーメインのネームバリューも借りて売り出された感じですが、今回は、ホイットニーの助力をジャーメインが得る感じだったように思います。

プレシャス・モーメンツ

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 しかし、この曲はシングルカットされる事はありませんでした。ジャーメインとホイットニーのDuo曲は4曲発表されていますが、二人のデュオソングがシングル化される事はありませんでした。
 ジャーメインとのそれまでの3曲は、シングル曲としてのタイミングは難しいものがあったように思います。しかし、「If You say ---」はジャーメインサイド、ホイットニーサイドにとってもシングル曲としては絶好のタイミングだったと思うのですが、シングル化されないのです。そこに何かしらの理由を感じます。
 
 85年『ホイットニー・ヒューストン』でデビューしたホイットニー。成功を約束されたその才能と美貌は、アリスタレコードのクライブ・デイヴィスの完璧なプロダクションで花開きます。(このデビューアルバム、日本盤はA面とB面が入れ替わっていたという驚きの事実をこの25周年記念盤で知る事となります)

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 そのデビュー前からホイットニーのお披露目は始まっていました。84年、テディー・ペンダーグラスのDUOソングでシングルデビューもはたし、ジャーメインのアリスタ移籍第1弾アルバム『Jermaine Jackson』(『ダイナマイト』)にも収録された「Take Good Care Of My Heart」でジャーメインとのDUOを披露します。この時、まだ若干控えめのように思いますが、とても20歳の新人とは思えないボーカルです。私もリアルタイムに、ジャーメインのこのアルバムで彼女のボーカルを聞きましたが、新人とは思わなかった。

ダイナマイト

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 この時は、ジャーメインやテディのネームバリューの力を借りてホイットニーの存在を売り込んでいくというクライブの戦略でした。(ただこの事が85年のデビュー時に、グラミーの新人部門の資格の剥奪という弊害もうみます)
 85年のホイットニーのデビューアルバムでも、ジャーメインは新たに「Nobody Loves Me Like You Do」というバラードでDuoを務めます。
 さらに当時サントラブームで、映画ががらみのヒットソングが連発されていた。そんな流れにのるべくアリスタレコードが力を入れて製作したのが、ジョン・トラボルタ主演の『パーフェクト』。そのサントラの主役は、ジャーメインでした。さらにそのそのサントラに、ホイットニーとのエレクトリックなDance曲「Shock Me」が収録されます。このスピーディーなダンス曲でも、二人のボーカルは最高に絡み合います。
 そして、ジャーメインは84年の『ダイナマイト』から2年を経て86年にアルバム『Precious Moments』を発表します。
 『ダイナマイト』は、クライブ・デイヴィス主導で製作されたと思います。ジャーメイン、曲も書け、楽器もできるマルチな才能で、モータウン時代では外部プロデューサーの力は必要最小限にし、ほとんどを自身で手がけるアーティストでしたので、『ダイナマイト』ではそのプロダクション能力が十分発揮できなくて、フラストレーションも相当あったと思います。
 が、この『プレシャス・モーメンツ』ではジャーメインのビジョンがほぼ表現されているように感じます。ミキサーにFlyte TymeのSteve Hodgeを招いているのも見逃せない。
 「If You Say My Eyes Are Beautiful」(「恋するまなざし」)はエリオット・ウィレンスキーによる美しく力強いバラード。リリックを見ると当初からデュオを想定していたような曲のように思えます。ジャーメインは、モータウン時代にもリタ・クーリッジ等ど大人の名ラブバラードを残している。
 エリオットも、モータウン時代からジャーメインと曲を書いており、美しいスローバラードが印象的。マイケルのモータウンでのソロデビュー曲「Got To Be there」も彼の曲だそう。
 プロデュースは、ジャーメインとトム・キーン。トム・キーンはTOTOファミリーの人。さらにこの曲にはギターで、スティーヴ・ルカサーも参加。終盤を盛り上げています。
 この曲は、誰がデュオパートナーを組もうと、曲自体かなりのポテンシャルをもった曲のように感じます(個人的にはそこまで好みではないのですが、売れるか売れないかの視点では、売れる曲だと思うという事)。
 しかし、今作再びホイットニー・ヒューストンをDuoパートナーとして選んだのは、ジャーメイン自身ではないようです。
 ホイットニーの自叙伝『デーヴァ』の中で、その事が触れてあり、それはやはりクライブ・デイヴィスの発案だったと。
 実際のレコーディングは、クレジットを見ると別録のようです。すごく息があってるので別々にレコーディングしたように聞こえない。エンジニアのSteve Hodgeの手腕も見事です。
 曲も良いですが、二人のボーカルがさらに素晴らしい。特にホイットニーのボーカルは素晴らしい。このボーカルが彼女を“ディーヴァ”にした。
 
 ジャーメイン自身、この曲自体のポテンシャルの高さを感じているようで、シングルの候補曲でもあったようですが、ホイットニーが相手に決まった時点で、シングルとしてはなくなったと思ったようです。
 シングル曲とならなかった理由が、ホイットニーの過剰露出にあったといいます。
 ホイットニーのデビューアルバム『ホイットニー・ヒューストン』は、85年に発表され、最初のシングル「You Give Good Love」はHOT100で3位(R&B1位)になります。その後も、そんなに踊りまくれるわけではないですが、ビジュアルのいい彼女のPVは次々作られ、シングルヒットも続きます。
 
 You Give Good Love    3位         85.3
 Saving All My Love For You   1位    85.6
 Thinking About You       ---       85.10
 How Will I Know       1位           85.12
 Greatest Love Of All   1位          86.4

 『ホイットニー』からは、5枚のシングルがきられ、内3曲が全米1位を獲得します。最後のシングルとなった「Greatst Love Of All」もアルバムから5枚目のシングルにも関わらず、大ヒットします。
 その時期に、ジャーメインのアルバムが発売されたわけです。
 ホイットニーの次のアルバムからのシングル「すてきなサムバディー」は87年5月で、またまた1位を獲得します。ただその間は1年空いています。
 85年にデビューアルバムが出ますが、ジャーメインのアルバムが出た86年3月の時点では、ホイットニーはもうスターの位置に登りつめていたといっていいでしょう。
 そのタイミングで、ジャーメインとのこの新曲をシングルとして出せば、1位を獲得するのは間違いなかったように思います。しかし、シングル化されなかったのです。
 ホイットニー側の「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」の予想外の大ヒットが、さらにジャーメインとのこの曲のシングル化を妨げたのかもしれません。ただ若干、腑に落ちません。
 それだと、あまりにもクライブはホイットニーにテコ入れしすぎのように感じます。
 
 クライブは、アリスタレコードの社長なのです、ジャーメインのアリスタ移籍第一弾アルバムも相当の費用をかけ製作し、プロモーションにも金をかけ、シングルもスマッシュヒットし、アルバムを見事にR&B1位にした。そして第2弾アルバムの起爆剤として「恋するまなざし」は最適だったはず。
 『プレシャス』からの先行シングルは、スティーヴィー・ワンダーも参加した「I Think Its Love」。「Let's Get Serious」以来のスティーヴィーの参加は話題も呼びました。オマーティアンProduceにより、スティーヴィー独特の黒さは薄れた感じですが、この軽快なダンスチューンは、HOT-100で14位まであがります。
 そして、第2弾シングルに「恋するまなざし」を持ってきていたら、シングルもヒットし、連動してアルバムの売り上げも一気に上昇したに違いない。
 そしてさらに強力シングル曲「Do You Remember Me」も勢いに乗ってシングルヒットしたに違いない。
 
 マイケル・ジャクソンとはまた違った魅力のジャクソンズのもう一人のリードボーカル、兄・ジャーメインの魅力が人々に再び認知されたかもしれない。そしてジャーメインも、妹ジャネットと同様に、マイケル・ジャクソンからの呪縛がとかれ、一人のアーティストとしてその後の新たな道が切り開かれた可能性もあった。しかし、その起爆剤としての可能性をもった曲はシングル化されませんでした。ジャーメインも「心底むかついた」と周囲にもらしていたようです。
 クライブは、結局、ホイットニーをスーパースターにするべくジャーメインをも利用したという感じなのでしょうか。
 
 ここからが、私の推測というか妄想なのですが、この曲をシングルにしないように圧力がかかった、かけた人間がいるのではないかという話です。
 これはホイットニーの死後、大きく報じられたジャーメインとの不倫ネタです。当時も、二人の只ならぬ関係を指摘する声はあったようですが、当時フライデーのような決定的な写真は出た事はありませんでした。
 私も、これはガセネタだろうと思っていたのですが、あながちそうでもなかった感じです。
 ジャーメインの自叙伝でも、ジャーメイン自身、ホイットニーに特別な感情をもっていたような事を述べていて驚いた。自身が、それこそ運命を変えた女性、モータウン社長令嬢・ヘイゼルと結婚していたため、自制したともありました。
 ホイットニーはジャーメインに「ヘイゼルと別れて」と言ったが、ジャーメインは断ったと。その腹いせに「すべてをあなたに」のMusic Videoを作ったというのは、後づけの話のように思いましたが、二人が特別な感情を抱いていたのは間違いないように思えてきました。
 クライブ・デイヴィスがその事に気づいていたのかがわかりません。手塩にかけて育て、スター街道まっしぐらのホイットニーに、ジャーメインとの不倫というゴシップが出ればその道は断たれたように思います。
 もしかしたら「恋するまなざし」はシングル予定曲だったのかもしれませんが、どこからかジャーメインとホイットニーとの只ならぬ関係に気づいたクライブ他、アリスタの幹部が二人を遠ざけるべくシングルにする事をやめた。
 また、ホイットニーとの関係に気づいた妻・ヘイゼルが、いわゆるジェラシーってやつでしょうか、自分の旦那を奪った女とのシングル曲がヒットするなど許せないでしょう、父・ベリー・ゴーディーの力も借り、アリスタに圧力をかけシングル化させなかった。
 いろいろ妄想しまくっていますが、ホイットニーとのこのシングル曲が、ホイットニーの過剰露出を嫌ったという理由だけでシングルカットしなかったというのは腑に落ちないのです。
 
 この曲が収録された『プレシャス・モーメンツ』は名盤だと思います。全10曲収録されていますが、ほとんどが愛を綴った曲です。ジャーメインの愛が語られているアルバムなのです。その対象は、普通に考えれば妻・ヘイゼルなのですが。タイトル曲にもなっている「プレシャス・モーメンツ」はジャーメインTaste全開のラヴバラード。プレシャス・モーメンツを単純に訳すと、貴重な時間、大切なひととき。
 ジャーメインらしいハートフルなメロディーラインで、愛に満ち溢れたバラードかと思ったら
 
 今になって君は去るって言うのかい
 僕の元に帰ってくるのだろうか
 僕には想い出と君の写真しか残らないのか
 そして笑顔がもうすぐ消えていく
 でも二人で頑張らなきゃ、間違ったことは正して
 昔と同じようにするんだ

というリリックなのです。そしてこの2年後の88年、ジャーメインとヘイゼルは離婚するのです。
 
 『プレシャス・モーメンツ』、ジャーメインの私小説的な、ジャーメインの愛が語られたアルバム。それは妻・ヘイゼルと、今となってはホイットニーへの愛だったように思えてなりません。
 ジャーメイン自身にこの曲をシングル化できなかった要因があったのかもしれません。
 今回この「If You Say My Eyes are Beautiful」を何度も聞きなおして、ジャーメインとホイットニーの歌声に酔いしれた。ホイットニーも逝ってしまったけど、この二人のボーカルの素晴らしさは消え去る事はない。
 

ディーヴァ  ホイットニーヒューストン物語

ディーヴァ ホイットニーヒューストン物語

  • 作者: ジェフリー ボウマン
  • 出版社/メーカー: 東京FM出版
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 単行本

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